2017.8.29
2018.3.20
2019.1.18
用語と文章を修正しています。
今回はペンタコンシックスで用いたレンズ
テッサー80mmを取り上げ、話を起こします。
基本、僕のお気に入りのレンズ。
それでははじめます。
1 テッサーって?
2 テッサー80mmが使用できるカメラ
3 テッサー80mmに興味を覚える点
4 テッサー80mmで気が付く工作程度
テッサーって?
はじめに、再度レンズの名称です。
テッサー80mm
これは間違いありませんが
少々、丁寧に表すと、このとおり。
TESSAR 2.8/80 CARL ZEISS JENA
続いて、レンズマウントは
ペンタコンシックス
中判カメラ用のレンズであり
「ちょっと珍しい?」
そんなことを思わせるもの。
そこで、名称が『テッサー』ですので、
このレンズに触れる前に少々『テッサー』に関し
あらましに触れてみます。
基本『テッサー』はご存知の方は多い
と思いますが、作りはじめたのは
カールツァイスですね。
※ CARL ZEISS
レンズ構成枚数、組み合わされるガラスの数が
4枚・・なのです。
そこで『テッサー』の名の所以は何か?
・・ですが
この名称、そもそもドイツ語の由来ではありません。
ギリシア語です。
モノ | 1 |
---|---|
ジ | 2 |
トリ | 3 |
テトラ | 4 |
ペンタ | 5 |
ヘキサ | 6 |
ヘプタ | 7 |
オクタ | 8 |
この中のテトラから来ているのです。
また、『テッサー』は
『ウナー』と『プロター』の形を合わせた
『3群4枚構成』と表現されます。
これが一番の特徴でしょう。
でも、キチキチと覚えるようなことでもなく
歴史背景として「こういうもんだ」と知るだけで
十分でしょう。
レンズの開発技師になるなら、話は変わりますが
運用する、撮影する側は大丈夫・・。
続いて、こちら。
こんな表現もありますよ。
何となく、響きがよいと思いませんか。
「鷹の目、テッサー」
鋭さを感じさせてくれます。
何か、カッコいいでしょう。
テッサー80mmが使用できるカメラ
続いて、このレンズを使用できるカメラに
目を向けると・・
だいたいこのあたりは大丈夫でしょう。
また、マウントタイプは先ほども触れましたが
ペンタコンシックスですね。
では、並べてみます。
1 | ペンタコンシックス |
---|---|
2 | キエフ60 |
3 | キエフ6C |
4 | キエフ88CM |
5 | エクサクタ66 |
※ ランダムに抽出しています。
テッサー80mmに興味を覚える点
続いて
レンズに関心、興味を強く覚える点は次の三つ。
● 1950年代後半期の生産品
生まれた時期は、第2次世界大戦が終了したアト
1950年代後半期に該当。
● カールツァイスイエナの生産品
戦前のカールツァイス系譜との関わりを持つ
カールツァイスイエナの生産品であること。
※ CARL ZEISS JENA
続いてはこちら。
● 工作程度がとてもよく見える!
たとえば
同じカールツァイスイエナで生産された
ビオメター80mm、120mmと比較すると
よい意味で違いのある工作、仕上がり状態を
持っていると思います。
つまり、1960年代以降の生産品より
「見栄えよく!」目に入ります。
ただし、生産年代(1950年代)から
マルチコート化はされていません。
(これは仕方ないと思います。)
そのため
その後の生産品より光の透過性が劣り
よく言われる黄色く変色した描写になるのは
やむを得ない、避けられない様子。
ですが
生まれた時代の技術的な背景などを承知し
寛容かつ、古いものを楽しむ心があれば
抵抗感を持つことはないでしょう。
僕自身は、さほど気にすることもなく
遊べる一品と思っています。
さらに、すでに触れていますが
工芸あるいは工作的な立ち位置で言葉を持てば
東ドイツ後半期よりも
職業人(プロ)として生きたと思われる
1950年代のカメラ職人の誇りが満ちたもの
と思うのです。
(もちろん、テッサー80mmのことですよ。)
テッサー80mmで気が付く工作程度
そこで、そのたとえを一つ取り上げると
絞りバネがきれいに見えること。
絞りが開放状態から最小へ進む中
クリック音を刻みつつ萎むハネの動きは
とてもなめらかです。
かつ、それぞれ均等な動きで目に入ります。
そして
それは後年、かなり下った時代の生産品の多くに
見られるいびつな姿ではありません。
とはいえ
その姿と動きは、本来、日本人の視点では
ごくごく当たり前に感じるものでしょう。
そのためか
「何を言っているの?」
と思われるかもしれません。
ですが
本来「普通だろう」というできごとに出会い
「よかった」「できた」と喜び楽しむことが
東ドイツなどの東ヨーロッパカメラと付き合う
ポイントとも言えるでしょう。
また、このレンズから
当時の東ドイツ社会に残された技術を
察することができるかもしれません。
いろいろと関連資料をひも解くと
東ドイツ地域に広がっていた光学関係工場に
触れたものがありますから・・ね。
ともあれ、レンズが生産された1950年代半ば
この時期は第二次世界大戦が終了しても
経過時間は10年ほどであり、月日の変化は浅く
もしかすると
大戦中の軍需相アルベルトシュペーアを
はじめとしたテクノクラートによって培われた!
ドイツの技術者魂が残っていたのかもしれません。
残念ながら
その時代を目で見たわけではないので
断定的な物言いはできませんが
そんな思いがフツフツと浮かぶのです。
おそらく
当該時代は生産能力の限りなき有効活用と
「製品生産」への誇りと気概が
たとえ、頂点を過ぎていたとしても
1950年代は、まだかなり高い位置に
あったのではないでしょうか。
それゆえ、憶測の域ながらも、当該時代は
大戦後のソ連式人民公社の妙な平等主義はじめ
やる気のなさが色濃く現れる前と見なしてよく
「東ドイツの製品は新しいものより古いがよい」
と言われる証と思うのです。
(僕の周辺の話です。)
ということで、歴史に関わることなど
長い時間をかけて話をしましたが
合わせて、80mmテッサーの今の評価に
目を向けると
次のようなものが目に入ります。
はじめにこちら。
つまり
よき評価が見当たりません。
おそらく
評価するだけの個体数も少ないのでしょう。
もしかすると、1950年代の当時でも
手に入りにくい製品だったかもしれない
と、想像は膨らみます。
ともあれ
テッサー80mm
いろいろと考えさせてくれるレンズです。
それでは今回はここまでとなります。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
失礼します。
(平成28年6月18日「平成16年2月を修正」)